こんな話あんな話


その学校が大きいか小さいかは別として、たとえば子供たち同士が肌を接して同じ場所で学ぶ。
あるいは先生から面と向かって肉声でなにかを受けついでいく。
それが大切なのではないかと考えるのです。

インターネットとかコンピューターによる授業も出てきつつあり、それを全面的に否定する気持ちはありません。私たちが学んできた本とか文字とか活字というのは、ある意味でメディアの大改革だったのですから。
その延長線上にあるのが、ニューメディア改革なのですが、ぼくはコンピューターは結構だけれども、コンピューターが全盛になっていけばいくだけ、もっと肉声のきこえるような、人間との接触 −〈面授〉−が大事にされなければ、人間は大切なものをなくしてしまうのではないだろうか、とふと思います。
言葉というものは声をともなっている。
声はリズムをともなっている。
リズムと同時に息づかいももっている。
ひとりひとり、みんなちがう。

活字というのは大体普遍的なものです。
それに対して人間の声とか喋りかたというのは、たったひとりのものです。

『大河の一滴』  五木寛之 著


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